「岬の兄妹」の吉田的感想

※ここでの感想文は、映画を製作した背景や関係者の詳細を全く知らない状態で綴ったものです。誤った知識や解釈が入っている可能性があることをご承知ください


2019年3月24日放送回

3月24日配信の動画で神山氏と日暮氏が意見を真っ向からぶつけていた「岬の兄妹」。
吉田は未見だったため、配信時は何も言えませんでした。
お二人の意見を要約すると、

日暮「『岬の兄妹』の障碍者の扱い方が“あざとすぎ”て不快。インディ映画なら何をやっても良い、という驕りが感じられた。評価としてはワースト」
神山「障碍者の兄妹を主役にするという、メジャー映画ではできない状況設定から、ここまで心を揺さぶる作品を作ったことに感心した。素晴らしい作品」

といった感じです。
いずれにしても、身体障碍者と知的障碍者、支援者ゼロの兄妹が最底辺の生活に行き着き、そこから売春を軸にドラマが展開するわけですから、賛否が分かれるのは仕方ないことでしょう。私はこの配信後すぐ、レイトショーの本作を鑑賞しました。

私評:なかなか良い映画。妹マリコ役の女優さんが素晴らしい。ただし障碍者の取り扱いは微妙

まずは良い点から。

知的障害かつ発達障害(恐らく自閉症)の要素を持つマリコが、性的な昂ぶりから兄の制止を振り切り、不特定の男性とのセックスを繰り返し、貧困にあえぐ兄の機転でこれを売春業に転嫁させる…というのが本作の主軸。そしてこれを演じる女優さんが見事に、レインマンのダスティンホフマンのような、愛らしくも痛々しいマリコの生き様を全力で表現しています。
この演技だけでも本作を見る価値はあると思います。

兄役の俳優さん、兄の友人の警察官らも良い顔をしており、この兄妹が追い詰められて行く流れに説得力がありました(現実との照合はさておき)。
コントラストの強い、やや古めのフィルムを模した色彩が味わい深く、室内の目張りを全部引き剥がすカットでの採光など、感情と情景を連動する演出はよく工夫され、港町で起きた些細な出来事を、顕微鏡で覗くような感覚で見応えアリアリで鑑賞することができました。
取り扱う題材にこだわらなければ、シンプルに「面白い映画」だと思います。

次に評価できなかった点。
まずは日暮氏が指摘した、障碍者を描くことへの配慮。ただの「掟破り映画」なのではないか、という意見について考えてみます。

神山氏はこの兄妹の葛藤と行動を、
「誰もが取り得る行動だし、誰も責めることはできない」
と意見していました。
確かにこの映画には、そう思わせるだけの説得力がありました。
ただ現実世界では、こうした状況は今は起こりにくくなっています。

まず現代の日本の福祉では、知的障碍者の社会復帰にはそれなりのセーフティネットが張られており、たとえば近隣からの通報や警察対応、友人知人などの促しさえあれば、障害者には公的な補助や就労支援、生活支援などがスムーズに提供されます。
たとえばマリコのような成人の女性であれば、もっと若い頃から福祉や保健所が介入しているはずですし、ましてや売春が警察に知れ渡った時点で、保健所などの行政機関がマリコ兄妹宅に介入し、生活保護などの経済援助、あるいは監禁、虐待ケースの被害者として、施設入所などの措置が行われていたはずです。
そうした現実的な解決策があるにもかかわらず、本作ではそうした措置を行いませんでした。その原因として考えられるのは、

① 映画内では語られないが、兄がこれまですべての支援を拒否し続けてきた(=兄は極めて偏屈で、排他的な人間性だった)
② 福祉制度が発達する前の、かなり昔の話だった
③ 制作側が行政の福祉政策の存在を無視した

のどれかとなるでしょう。

①の場合であれば、兄の人間性はもっと暴力的で利己的なはずであり、これを突き詰めたリアルな表現を求めるなら、作中の妊婦マリコに対して兄は躊躇なくブロックを投げつけていたはずです。ただその場合、この映画の本質でもある「兄のやり切れない葛藤」が生まれないため、作品の意図も変えざるを得なくなったと思われます。
したがって①は正解ではないと考えます。

②の可能性ですが、兄がガラケーを使っていたので、もしかすると2000年前後、福祉が充実していない地域の話をしていたのかもしれません。しかしそれでも、「かわいそうな兄妹」が近所で噂にならないはずはないでしょう。

結局のところ答えは③、つまり本作を仮想現実、つまり「兄妹は過去も未来も孤立無援である、という絶対的な仮定」から作られた、ある種のファンタジー作品として捉えるのが一番正しい、ということになります。
こうした設定が意図的なものではないことは、後述する「リアルさを追求しようとして失敗しただろうシーン」で明らかになりますが、ここではそう仮定しておきます。
個人的には①と③、そのどちらにも振り切れなかった所に、この作品の残念さがあるように思います。
障碍者を取り巻く社会と心の問題をリアルかつ深く描くのであれば、作り手はさらに一歩、現代の福祉制度まで踏み込んだ描写が必要だったと思います。

ちなみに先ほど書いた「リアリティを追求して失敗したシーン」ですが、その最たるパートが、中学生のイジメのシーケンスです。
いじめっ子達は、いじめられっ子にマリコをあてがわせ、彼に初体験を強制させて、その傍らで売春が終わるのを待つ兄を襲って現金を奪おうとしました。これは現実には絶対に“ない”です。
女性の裸や性行為に興味津々なはずの中学生が、マリコといじめられっ子の初体験に興味を示さないわけはなく、一方で何をしだすか分からないイカレた兄に強盗を働くなんていうリスクは、子供の心理を考えれば絶対にあり得ません。本来なら、何はともあれ性行為を見たい、あるいは自身が性行為に参加したいと思う中学男子ですから、まずはそこが描かれるべきで、また暴力に関しては強盗ではなく、肉体的な接触のない、遠巻きからの物投げや差別的な言辞が繰り返されるはずです。
ここは完全にリアリティを失っていました。

その他リアルな表現に関しては、細かいことですが、足を引きずる兄の、障害がある方の靴底がぜんぜん擦り減っていないことも気になりました。足の不具合をあそこまで強調しているのですから、そこはこだわって欲しかったです。

インディ作品で比較的自由に表現されるエロ&グロに関しても、気になる点がいくつか。
中学生に襲われた兄が自身の大便を使って子供を撃退したこと、マリコとヤクザのファックを兄が無理やりに見せつけられたシーンなどは、本編に影響を与えない、単なる悪趣味の表現に思えました。
一方で兄の性欲が乏しく、妹との近親相姦的な雰囲気が皆無だったことはロマンチックですがやはり不自然で、この辺のエログロ表現を思い切り突き抜けて、過激すぎて笑いを呼び込むくらいの表現にしてしまえば、逆に兄妹と関係者が陥った業の深さが、もっと際立ったように思います。
ただその辺に関しても、本作をファンタジーとして捉えれば…たとえば「マッチ売りの少女」のような悲しいお伽話として受け止めさえすれば、作品の価値は落ちることはないと考えます。
私は日暮氏と神山氏、双方の考えが理解できます。

最後に日暮氏、神山氏が熱く語っていた、本作のエンディング…兄の携帯電話が鳴ったシーン…の解釈ですが、神山氏は「あれは社会に対する復讐の狼煙だ」と説明し、日暮氏は単にそこを「あざとい」と斬り捨てました。
エンディングに関しては、その後の展開を視聴者に想像させる「よくある終わり方」であり、私は特別な印象は持ちませんでした。
ただ、その時のマリコの表情が、障害者でなく一人の女性に見えたのが、何とも印象的でした。

「岬の兄妹」は、もしかすると何年か後に、記憶から甦ってくる作品なのかもなぁ、というのが私の結論です。
(吉田眞)

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